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2024.09.13

一本の稲穂と義母の言葉

この夏お米が店頭から消えました。そろそろ新米が出回る頃ですが、すべての人の手元にいきわたるのはもう少しかかりそう、とのこと。

平成3年9月23日お彼岸の早朝、義兄からの知らせを受けて、一面黄い田んぼの中を車で急ぎました。朝からとてもいい天気でした。

義母が初めて受けた健康診断で胃に腫瘍が見つかり、すぐに手術。あの当時は病院から本人に告知することはなく、家族だけが知らされていた時代。胃潰瘍の手術ということで納得していた義母も、やがて骨の方まで病巣は転移して、病院のベッドで苦しい生活を送るようになっていました。

やがては家に帰り、畑仕事もできると頑張っていた義母に、嘘をついているのがきつかったです。
田んぼの稲穂が少しずつ色ずき始めたころ、義母にはもう来年の稲穂を見ることができないのだと知っていた私は、病室の外に広がる田んぼから、悪いな、と思いつつも2~3本の稲穂を手折り、母の枕元に差し出しました。

その時義母は、しっかりした声でいきなり私を叱ったのです。「おまえ、その稲がこれから先どれほどの米になるのか考えたことはあるのか?」一瞬何を言われたのかわからず、そのあと涙だけがぽろぽろこぼれ、顔を背けて声を出さずに泣きました。
稲穂、お米

あれから30年以上が経ち、

当時「嫁」であった私は、今「義母」と言われるようになって久しいけれど、お母さんのようにまっすぐ義娘を叱ることはありません。
戦中戦後と苦労の中、大勢の家族を抱え生き抜いてきた人にしか言えない、生きた証の言葉なのだろうと思います。

稲穂、お米

田んぼが一面色ずくこの季節になると、あの時叱られた切なさと義母の言葉が重く蘇ってくるのです。
秋のお彼岸ももうじきなんですね。